顔ハメ看板のことを好きになったきっかけ
元々、僕は顔をハメない少年でした。
これは現存する最古の僕の顔ハメフォトで、祖父母の家のある鹿児島県種子島の宇宙センターで撮ったモノです。
母と、妹2人といとこの女の子というレディーたちを差し置いて我先に顔をハメています。
8歳の夏のことです。
しかしこの1枚以降、僕は大人になるまで顔をハメていません。
大自然に囲まれて育ち、学校の授業では
「ウミガメの卵を孵化させて、海に放す」
という特殊すぎる授業を受けてきたにも関わらず、家から出ることが大嫌い。
家でハッチポッチステーションか忍たま乱太郎か、天才てれびくんばかり観ていました。
そんな僕が徐々に活発になったのは大学4年生の冬。
中学校のころの先生と久しぶりに再会したことがきっかけです。
中学生というのは思春期入りたてで、グレるまでは行かないけれど、そこそこツンツンしていた時期です。
そんななかでその先生は、音楽を担当している男の先生で、本当は持ってきてはいけないけれど僕がCHEMISTRYのCDを貸したり、お返しに先生が吉田戦車の漫画を貸してくれたり、内緒だけどもうなんでもアリでした。
しかしやがて高校生になり、大学生になり、先生と会わなくなっていつのまにか約10年が経っていました。
「いまどうしているんだろう?」
ふと、ふと、ほんとにふと、何気なくそう思った僕はfacebookでコンタクトを取り、僕が東京から帰省するタイミングで再会。
久しぶりに会った先生は、びっくりするくらい当時のままで
天文館というアーケード街のなかで鹿児島名物「しろくま」を食べつつお互いの近況報告や、思い出話に花を咲かせたりなんかして。
それはそれは昨日まで会っていた、みたいに盛り上がったんです。
そして、お会計を済ませて満足感でいっぱいになりながら外を出ると、こんな光景が広がっていました。
むちゃくちゃ久しぶりということもあってお互いテンションがふつふつと高まっていたのでしょう。
男2人で、それはそれはノリノリで楽しく顔をハメ倒しました。
顔をハメ終わって充実感あふれる帰りの車。
先生がこんなことを言い始めました。
「ゆうすけ(僕の本名)、きょうは楽しかったねぇ。でもさ、このままだとまた何だかんだ10年くらい会わなくなるよね」と。
そして続けざまに先生がこんな提案をしたんです。
「だから思いついたんだけどさ、これから鹿児島と東京、お互いのまちで顔ハメ看板見つけたら写真を送りあおうよ!それが近況報告のタイミングになってちょうどいいんじゃない?」
断る理由はひとつも見当たりませんでした。
「それいいっすね先生!そうしましょう!」
こうして先生の何気ないひと言がきっかけで、
こうして先生の何気ないひと言がきっかけで、
僕と先生の世にも奇妙な近況報告が始まりました。
それからというもの、まちで顔ハメ看板を見つけては
「先生お元気ですか?」
みたいなメッセージを顔ハメフォト付きで送り合う日々。
暑中見舞いとか、年賀状とか、それよりも短いスパンの、それでいて心地の良すぎる無理のないやり取り。
そのうち先生に近況報告したいが為に、顔ハメ看板を探していると
だんだん顔ハメ看板自体の魅力にどっぷりハマっている自分がいました。
みたいなメッセージを顔ハメフォト付きで送り合う日々。
暑中見舞いとか、年賀状とか、それよりも短いスパンの、それでいて心地の良すぎる無理のないやり取り。
そのうち先生に近況報告したいが為に、顔ハメ看板を探していると
だんだん顔ハメ看板自体の魅力にどっぷりハマっている自分がいました。
そして顔ハメ看板が設置されているスポットの面白さも感じるようになりました。
幼少期から大学卒業するくらいまで半端じゃないくらい出不精で家大好き人間だった僕は、いつのまにか外に出ていないと落ち着かない人間になっていました。
なぜなら大好きな顔ハメ看板ちゃんは、家にはいないからです。
こちらから会いに行くことはあっても、向こうから顔ハメ看板ちゃんが会いにくることは決してないからです。
ならば家を出た外の世界のほうが圧倒的に楽しい。
今では年間500枚くらい顔をハメる日々を送っているので、さすがにもう先生に逐一近況報告することはなくなりました。
でもまさか、あんな些細な出来事が顔ハメ看板にどっぷりハマってしまうターニングポイントだったなんて。
面白い出会いは日々転がりまくっているんですなぁ。
期間限定の顔ハメ看板ちゃんもはびこるこの時期のなかで、こんなことを思い出した次第。
さてと今日も明日も明後日も明々後日も、僕は顔をハメますぞ!
久しぶりに先生に近況報告してみようかなぁ。